菜月の居ない世界で

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菜月の自死未遂と家族(3.Oct)

<2020年10月 3日(土)>

今日は、コロナ禍の影響で4月休業日の代替就業日だ。
K社長・H取締役は会社を休みラヨーンに釣行に行った。
上司不在の代替就業日だ。タイ人Managerの多くが休んでいる。
休んでもよかったが、一人で居ると突然湧いてくる感情に苦しく会社にいた方が楽だ。

昨夜、お互いの呼び方について光美とLINEしていた。
私は“光美”“有香・有ちゃん ”“菜月・菜ちゃん”
光美は私を“ひろクン”と呼ぶ。
有香は“ママ”“パパ”だ、 菜月は光美を“光美さん””おねいさん”と呼んでた。
自分が何て呼ばれてたか思い出せなかった。
其の問いかけに朝 タイ時間4:04に光美からLINEが“パパと言ってたよ”
居らためて菜月に呼んでもらいたい。

病院から菜月に生理が来たからナプキンを持って来る様に連絡が有った。
やっぱり菜月は生きている事を実感できた。
昨日の告知の後だけど、何故か希望が見えた様なきがした。
祖母たちも心配だ。孫である菜月を可愛がってくれてた。
相当なショックだろう。
昨日の私の首吊りの件で、祖母の受け答えに対し、光美が激高したらしい。
光美から聞いていたので、全ては私が悪いと伝えよう。
当然だか、祖父・祖母共に相当辛い状況の様だ。
菜月のお見舞いにも行けず、なるべく外には出ない様にしているとの事だ。
29日の夜 田舎の夜は騒然となった。
当然噂の的であり、誰かに合えば必ず聞かれる。
本当の事を言えば、“菜月が帰ってきた時に可哀そうだから”と。
うん。必ず菜月は帰って来るから。 担当医から厳しいと言われた事は言えなかった。

光美の事を聞くと、光美からも謝罪が有った様で気にしてない様子だったが、
有香が出てきて相当文句を言った様だ、祖母に対しても私に対しても、攻撃が止まらない。
祖母は今皆が余裕が無いから仕方ないと力ない言葉だった。