菜月の居ない世界で

次女 菜月の自死からの記録 菜月の居ない世界

京子と

<2020年10月18日(日)>


昨日と打って変わって今日は天気が良い。
帰国して10日。残り4日となった。有香とは一言も会話を交わしてない。
これまでの10日間が駆け抜ける。歩きながら思い出すと涙が出てくる。
とにかく歩こう。東の方面に向う。
木工所辺りから川に沿って下る。自宅が見える橋の上で川を暫く眺めて居た。
小学生が話しかけてきた。いい大人が川を眺めて居るのが不思議だった様だ。
”何してるんですか”魚を見てたと答えると。

”今日はいい天気ですね” 何か大人びた小学生だ
今日は運動会だった様で終わって帰る所と言っていたが、まだ12:00頃だ。ま、いいか。
少年と別れ恵那駅方面に行く。小さな五平餅屋に大勢が並んでいる。
以前からある店だ。何度か食べた事があるが、

有名店になった様だ、今日は日曜日だから
観光客が多いのかも、まだまだ私には時間がある。並んでまで食べる必要は無い。
今日は諦めて平日に又来よう。このまま昼飯は抜きにしよう。

京子とコメダ珈琲で待ち合わせをした。14:30だ。
兄弟で待ち合わせをするのは久しぶり?初めてかも。
スイーツと珈琲を注文して京子を待った。暫くして京子が来た。
菜月の事、光美・有香 今日までの事を色々話した。
話の中で、私が後悔している事の中に、菜月が始めてタイに来た時、
ロータスの中で菜月を叱り、泣かした事を話した。
”折角タイに来たのに、何に怒ったかも思い出せない様な事で菜月を泣かせた”と。
その事を京子は覚えていた。
京子曰く、菜月が少しも光美の言う事を聞かなく、

先を歩く私に菜月を叱る様に言って来たらしい。
私が些細な事で菜月に怒り出した訳では無いと。
泣かした事は後悔しているが、何か少し肩の荷が下りた気がしたが、
泣かした事には変わり無いがなぜか嬉しく、安堵して涙が溢れて止められなかった。

色々話した。有香から来たメールを見せたら、
”酷いね。お兄ちゃんが可愛そう”と言って京子は泣いた。
今、私は父親(祖父)ともいがみ合ってる。
高齢である事もあり、早く和解しないと、菜月の様に結局は後悔して泣く事になる。
この件は京子が頼りだが、余り期待は出来そうもない。
結局、18:30頃まで店に居座って話した。

Hotelまで歩きながら話した。京子は明日夕刻に横浜に帰る。
京子も体に気をつけて欲しいものだ。
孤独な夜が来た。菜月の遺骨と会話しながら泣いた夜。