菜月の居ない世界で

次女 菜月の自死からの記録 菜月の居ない世界

最後の別れ

<2020年10月14日(水)> 


今日は天気が良い。
一日何時でも菜月に会いに行って良いと言われている。
昨夜、会社には菜月が逝ってしまった事は連絡してある。
今は、家族との亀裂が生じている事もあり、一時でも早くタイに帰りたいと考えてる。
逆算して10月29日の便が最速だ。一応予約は出来たが会社から承認待ちとなっている。
Hotelを9:30頃出発した。途中で会社から連絡が入り、
10月29日はキャンセルする様に言われた。

私はすぐにでもタイに帰りたい旨伝えたが、
もう少し落ち着いてから、家族の事も考える様言われてしまった。
確かに私は今 この場から逃げ様としているのかも知れない。

有香も光美も逃げれないのに。
これまで私は、タイに対して決して帰ると言わなかった。
誰かに”何時タイに帰るの?”と言われも”タイに行くの!今日本に帰ってきてるの!”

若干の拘りがあったが、今は帰りたいと思っている情け無い男である。

今日は電話連絡した後、ICUまで一人で入室した。
ICUでは看護師さんが菜月の髪を乾かしていた。

”お父さん変わります?”と言われドライヤーで丁寧に乾かしたつもりだが、

たまに熱風が手に当たり熱い。菜月は大丈夫か?心配だ。
半渇きとは思ったが、看護師さんに代わってもらった。
いつもより長い時間 菜月と話す事が出来た。
何を話したかな?子供の頃頭が臭かった事。タイで怒った事。菜月の言葉、白と桜
それと髪の毛を少し切った。菜月が持っていた小さなビンに髪の毛を入れた。
菜月にはタイでの生活の事を少し話した。話しては泣いて。又、話して、
看護師の川村さんが菜月の右側に来るように言われた。
服の袖をまくり、手首上の腕にアルコール消毒をする。???

何するのかなと思っていたら
菜月の手を取って、消毒した腕に乗せてくれた。
菜月の暖かさが手に伝わる。

そのまま菜月の腕と私の背中を川村さんは支えてくれてた。
その優しい好意と、菜月の暖かさで涙が溢れでる。
何を言ったかな?覚えているのは”菜月 暖かいよ。悲しいよ。”
しばらくして、

菜月さんの手は後で消毒しておくからね。内緒ね!と優しく看護師さんは微笑んだ。
その後は、しばらく二人で話してと退室された。
手を握り、頭を摩りながら一時を過ごした。
菜月はきっと優しい看護師になれたと思う。有香とは違い、争いを好まない。
ほんわかした雰囲気は、きっと患者さんに人気になると確信している。

菜月。苦しいよ・悲しいよ!